<Header>
<Author: 杜甫>
<Title: 韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖>
<Format: 七言古詩>
<Year: 1964>
<BookName: 唐詩選　上>
<Translator: 斎藤晌>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 韋諷録事の宅にて曹將軍の畫馬の圖を觀る引>
<BookPage: 102>
<UsedPage: 1>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
國初已來畫鞍馬，
神妙獨數江都王。
將軍得名三十載，
人間又見真乘黃。
曾貌先帝照夜白，
龍池十日飛霹靂。
內府殷紅馬腦盌，
倢伃傳詔才人索。
盌賜將軍拜舞歸，
輕紈細綺相追飛。
貴戚權門得筆跡，
始覺屏障生光輝。
昔日太宗拳毛騧，
近時郭家師子花。
今之新圖有二馬，
復令識者久歎嗟。
此皆騎戰一敵萬，
縞素漠漠開風沙。
其餘七匹亦殊絕，
迥若寒空動煙雪。
霜蹄蹴踏長楸間，
馬官廝養森成列。
可憐九馬爭神駿，
顧視清高氣深穩。
借問苦心愛者誰，
後有韋諷前支遁。
憶昔巡幸新豐宮，
翠華拂天來向東。
騰驤磊落三萬匹，
皆與此圖筋骨同。
自從獻寶朝河宗，
無復射蛟江水中。
君不見金粟堆前松柏裏，
龍媒去盡鳥呼風。
<End Poem>
<Translation>
わが唐の世の初めから、馬の繪をかいて絶妙とたたえられたのは、ただひとり江都王があるばかりだ。ところが今日、曹將軍は三十年來この道で有名になっておられる。 おかげさまで、この世でまた眞の乘黄というべき名馬のすがたを見ることができた。將軍は以前に、玄宗皇帝の御愛馬、照夜白を寫生されたことがある。それをかきあげるかかったが、そのあいだ、宮中の龍池の龍を感動させたと見えて、じつにはげしい雷が鳴りはためいたということだ。その仕上りのみごとさ。皇帝は御感ななめならず、内府 に深くしまってあった、濃い紅の瑪瑙の盤を出せとの仰せがあった。この仰せを女官の健妤がとりついで、女官の才人が内府へ行ってさがしもとめてきた。やがてその瑪瑙盤を、御褒美として目のあたり曹將軍にたまわった。將軍はありがたくこれをおしいただいて、お上を禮拝し靴を踏み鳴らして舞い、御前を退出した。そのあとがたいへん、軽い生絹やこまかい模様織の反物が、將軍のあとを追いかけるように家に舞いこんできた。みな將軍に繪を依頼する潤筆料のまえばらいだった。皇后の一族にしろ權勢の家にしろ、とにかく屏風や障子に曹將軍の筆跡があって、はじめてその御殿に光が生ずるように思われ、自慢の種にもなったのだ。むかしには太宗の愛馬に拳毛騧というのがあったし、近ごろでは郭子儀の乗馬に獅子花というのがあって、名馬の代表のようにいわれた。ところが、この曹將軍の手になる新しい繪には、その二匹の馬がいる。識者が一目見れば、おもわず長いあいだ、 嘆息の聲をはなたしめるものだ。この二匹の馬は、これに乗って戦えば、一騎で萬騎に敵する希代の逸物であって、白い畫絹があたかもひろびろと遠くつづいて風の吹き荒れる砂地のように見えてくるのも妙である。この二匹だけではない。そのほかの七匹もまたすばらしいものだ。はるか彼方の寒空に、霧や雪を舞い動かすようなおもむきがある。堅い蹄が楸の竝木道をけったり踏みつけたりして、かたわらには厩役人や馬丁が殊勝氣に竝んでひかえている。ああ、九匹の馬は、いずれおとらぬ駿馬ぶりをきそっているではないか。なかにも後をふり向く姿など、いかにも氣高く、氣品がおだやかにおちついたものだ。さて、昔から熱心に馬を愛した人は誰だろうかと問えば、過去には晋の名僧支遁という人があったが當世では、この家のあるじ韋諷ということになろう。こういう眞の愛玩者があってこそ、曹將軍の入神の傑作も眞に帰するところを得たといってよかろう。この圖を見て思い出したが、玄宗皇帝が御在世の日、いつだったか驪山の新豐宮へ行幸があった。美しい皇帝旗をば天をはらうばかりにおし立てた行列が、堂々と東へすすんで行った。そのとき三萬匹の馬をひかせて行列にくわえられたが、りっぱだったなあ。勇んでおどりあがるたくましい勢いは、みんなこの圖の馬と筋肉骨格が同じだったよ。玄宗が蜀におでましになってからは、二度とあんな盛んな御旅行というものは見られなくなった。まあ、ごらんなさい。なんでもはでで豪勢なことがおすきだった一代の英主、玄宗皇帝も今や金粟堆にある泰陵というお墓のあるじとなられ、おそばに竝ぶものとては、しんしんと茂る松や柏の林しかない。もちろん、あのすばらしい馬など一匹もいるはずはなく、ただ山風に吹かれて鳥どもがかなしくさえずっているばかり。
<End Translation>
<Formatted Translation>
わが唐の世の初めから、馬の繪をかいて絶妙とたたえられたのは、ただひとり江都王があるばかりだ。
ところが今日、曹將軍は三十年來この道で有名になっておられる。 
おかげさまで、この世でまた眞の乘黄というべき名馬のすがたを見ることができた。
將軍は以前に、玄宗皇帝の御愛馬、照夜白を寫生されたことがある。
それをかきあげるかかったが、そのあいだ、宮中の龍池の龍を感動させたと見えて、じつにはげしい雷が鳴りはためいたということだ。
その仕上りのみごとさ。皇帝は御感ななめならず、内府 に深くしまってあった、濃い紅の瑪瑙の盤を出せとの仰せがあった。
この仰せを女官の健妤がとりついで、女官の才人が内府へ行ってさがしもとめてきた。
やがてその瑪瑙盤を、御褒美として目のあたり曹將軍にたまわった。將軍はありがたくこれをおしいただいて、お上を禮拝し靴を踏み鳴らして舞い、御前を退出した。
そのあとがたいへん、軽い生絹やこまかい模様織の反物が、將軍のあとを追いかけるように家に舞いこんできた。
みな將軍に繪を依頼する潤筆料のまえばらいだった。皇后の一族にしろ權勢の家にしろ、とにかく屏風や障子に曹將軍の筆跡があって、はじめてその御殿に光が生ずるように思われ、自慢の種にもなったのだ。
むかしには太宗の愛馬に拳毛騧というのがあったし、
近ごろでは郭子儀の乗馬に獅子花というのがあって、名馬の代表のようにいわれた。
ところが、この曹將軍の手になる新しい繪には、その二匹の馬がいる。
識者が一目見れば、おもわず長いあいだ、 嘆息の聲をはなたしめるものだ。
この二匹の馬は、これに乗って戦えば、一騎で萬騎に敵する希代の逸物であって、
白い畫絹があたかもひろびろと遠くつづいて風の吹き荒れる砂地のように見えてくるのも妙である。
この二匹だけではない。そのほかの七匹もまたすばらしいものだ。
はるか彼方の寒空に、霧や雪を舞い動かすようなおもむきがある。
堅い蹄が楸の竝木道をけったり踏みつけたりして、
かたわらには厩役人や馬丁が殊勝氣に竝んでひかえている。
ああ、九匹の馬は、いずれおとらぬ駿馬ぶりをきそっているではないか。
なかにも後をふり向く姿など、いかにも氣高く、氣品がおだやかにおちついたものだ。
さて、昔から熱心に馬を愛した人は誰だろうかと問えば、過去には晋の名僧支遁という人があったが當世では、この家のあるじ韋諷ということになろう。
こういう眞の愛玩者があってこそ、曹將軍の入神の傑作も眞に帰するところを得たといってよかろう。
この圖を見て思い出したが、玄宗皇帝が御在世の日、いつだったか驪山の新豐宮へ行幸があった。
美しい皇帝旗をば天をはらうばかりにおし立てた行列が、堂々と東へすすんで行った。
そのとき三萬匹の馬をひかせて行列にくわえられたが、りっぱだったなあ。
勇んでおどりあがるたくましい勢いは、みんなこの圖の馬と筋肉骨格が同じだったよ。
玄宗が蜀におでましになってからは、二度とあんな盛んな御旅行というものは見られなくなった。
まあ、ごらんなさい。なんでもはでで豪勢なことがおすきだった一代の英主、玄宗皇帝も今や金粟堆にある泰陵というお墓のあるじとなられ、おそばに竝ぶものとては、しんしんと茂る松や柏の林しかない。
もちろん、あのすばらしい馬など一匹もいるはずはなく、ただ山風に吹かれて鳥どもがかなしくさえずっているばかり。
<End Formatted Translation>